パイワン族やルカイ族の貴族家に使用されていた国宝級の横木に圧倒されます
九族文化村は1986年から始まった、国内では文化観光の先駆けと言えます。ここでは、台湾各大原住民族群の文化を建築、技芸、祭典、舞踏、実体験の環境などを通して紹介していて、2017年現在、原住民は16民族いますが、設立当時は日本統治時代に分けられた9民族でした。名前は9族のままで、文化村内の民族エリアは増加しています。
ナビが先回訪れたのは、5,6年前のことでしたが、今回様々な箇所がリニューアルかつレベルアップしているのを見て、九族文化村の運営に感動しました。中でも各展示エリアの人形がとてもリアルで、民族ごとの特徴が細かい部分まで表現されていることに驚きました。
九族広場の横にあり、入場無料です

今回、九族広場の横に新しく完成していた「九族文化博物館」に入ってみました。台北の「順益台湾原住民博物館」ほか原住民が多く住む地方では、その土地の原住民を紹介した博物館も多いのですが、こちらは展示されている物の希少さ以外に、展示の流れや配置など、とても工夫されていて引き込まれます。では、中に入ってみましょう!
 パイワン族の壺 |
 まだ認定されていない民族も多いのです |
 パイワン族の貴族階級の婦人は手に入れ墨をしていました |
 太平洋島々の民族と同じルーツを持ちます |
 この図面は分かりやすいですね |
 細かいです |
鮮やかな衣装や布、装飾品に釘付け
最初は、各民族の衣装や飾りの紹介コーナーです。
 アミ族男性の腰に巻く布の刺繍 |
 ツォウ族男性の帽子 |
 手織りの衣類 |
ツォウ族(鄒族) 主に阿里山山脈一帯に住み、南ツォウ群と北ツォウ群に分けられ、南は、2014年カナカナブ族(卡那卡那富族)とサアロア族(拉阿魯哇族)に分かれました。ツォウ族集落の祭典は、戦祭りは「Mayasvi凱旋祭」です。
アミ族(阿美族) 花蓮、台東にかけて住む台湾最大人口の原住民。母系社会ですが、豊年祭や公の物事は男性が中心で行われます。男性は年齢によって階級があり、歌や踊りに長けた民族です。
 パイワン族花嫁の装飾品、日本語説明も完璧 |
 見事です |
パイワン族(排湾族) ルーツは北大武山。多くは台湾南部の標高1000m以下の山地に住んでいます。社会階層制度はルカイ族と同様ですが、男女平等で長子であれば家を継ぐことができます。ルカイ族と同様に百歩蛇を崇敬し、守護神と見なしています。
 セデックの女性、機織りが上手になると頬に入れ墨を彫りました |
 プユマ族の男女の衣装、かわいい刺繍にご注目 |
 ルカイ族の女性の衣装 |
 とんぼ玉 |
 ルカイの象徴である白百合や百歩蛇 |
 ルカイ族の男性 |
セデック族(賽徳克族) 2008年タイヤル族から独立し、14番目の民族となりました。文化風習はタイヤル族と似ているのですが、言葉は異なっています。
プユマ族(卑南族) プユマ族は主に台東市と卑南郷に住み、アミ族と同じ母系社会で、年齢による階層があり、パイワン族と似た頭目制度があります。青少年集会所(Trakuban)は教育訓練所でもあり、長老やシャーマンは敬われます。
ルカイ族(魯凱族) 中央山脈南の両側の山地に住んでいます。社会階層制度によって、頭目、貴族、戦士、平民の四階級に分かれ、長男がその跡を継ぎます。
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服飾についての紹介、ここには日本語なし |
 貴重なタオ族の民族衣装の写真、森丑之助撮影1915年、とあります |
 こちらはアミ族の衣装、同じく同年森丑之助撮影です |

各部族の布をパッチワークにしたもの
 この部分はプユマ族 |
 太陽を表しています |
館内で最も貴重な収集品です
次はパイワン族の家屋の入口にある鴨居のような横木が50本余り展示されています。これほどの数は、他では見られないものです。彫刻が施された横木は、貴族社会であるパイワン族とルカイ族の貴族階級の家にのみあった、どれも100年以上、200年近いものもあり国宝級と言えます。
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守護神である百歩蛇は、必ず彫られていました |
貴重な歴史を物語ります
日用品や楽器、100年以上前の原住民各族の伝統住宅の展示などが並びます。伝統住宅に関しては、当時の日本人学者である千岩助太郎博士の研究調査資料に基づいているそうです。建物の構想や展示品の収集には2年以上費やしたそうで、収蔵品、紡織品、彫刻、公言、漁猟武器、機織り、楽器、陶芸などどれも貴重な展示物は、多岐にわたっています。
タオ族(達悟族) ヤミ族(雅美族)とも呼び、台東県の沖にある蘭嶼島に住んでいます。暴風雨を防ぐための半穴居の地下住居が特徴的で、唯一首狩りの風習が無かった民族とも言われています。
 サイシャット族がバスタアイ祭りでつける尻鈴 |
 入れ墨をしたタイヤルの女性 |
 タロコ族の楽器 |
サイシャット族(賽夏族) 新竹県と苗栗県の境界の山地に住み、伝統の矮霊祭(Pas-taai)は、2年に一度小祭が行われ、十年ごとに大祭が行われます。
タイヤル族(泰雅族) 中央山脈と雪山山脈の標高500~2500メートル間の広い地域を伝統的な居住地域としています。祖霊「utux」を畏れ敬い、祖訓「gaga」を崇敬する民族です。昔は、顔に紋様の刺青をする習慣がありました。
タロコ族(太魯閣族) タロコ族は南投の静観集落に住んでいましたが、17世紀に中央山脈を越えて花蓮県和平渓の南、紅葉と太平渓より北の地域に移り住んできました。
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生活道具や楽器 |
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部族ごとの住居紹介 |

漁業民族、農耕民族
昔の原住民の貴重な写真はすべて日本人学者によるものでした。
 森丑之助撮影、1904年、プユマ族 |
 鳥居龍蔵撮影、1900年、ツォウ族 |
他にも下記の原住民族がいます。
ブヌン族(布農族) 台湾中南部の山地、標高1500メートル以上の高山に住む高山民族です。父系大家族が主で、粟の豊作を祈るときに歌う「八部和音」合唱法は世界的にも有名です。
サオ族(邵族) 日月潭湖畔に住み、祖霊信仰が信仰の中心です。家には祖霊の籠ulalaluanを祀るのがサオ族特有の風習で、祖霊祭の祭司(先生媽)は全て女性であり、祭典と祖霊とのコミュニケーションを行い、尊敬されています。
クバラン族(噶瑪蘭族) 台湾平埔族の中で漢人化が最も遅れた支族です。漢人との土地争いの影響を受け、一部のクバラン人は1840年頃から続々と南下。花蓮・台東海岸沿い一帯に移住し、花蓮平野北部に加礼苑集落を形成しました。
サキザヤ族(撒奇莱雅族) 花蓮の奇莱平野に住み、1878年クバラン族と共に「加礼宛事件」に参加して清朝の軍に抵抗し、後に報復を避けるため四散してしまいました。以前はアミ族と見られていました。2007年、13番目の民族として認定されました。
ほかにもカナカナブ族(卡那卡那富族)とサアロア族(拉阿魯哇族)がいます。
そう大きくはない博物館ですが、かなりの見ごたえがあります。
日本語の説明も各所にあるので、1時間くらいかけてゆっくり観てみてください!
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スタッフがプユマ族の刺繍の編み込みをしていました! |