1984年のこと、東部に流れたブヌン族の多くが住む台東県延平郷で、白光勝牧師は、ブヌンの子供たちを教育し始めます。当時原住民の子供たちの教育環境はあまりよくなく、大自然の中で育った素直な子どもたちは、高い教育を受けないまま都会に出た後、簡単に悪に染まってしまい、堕落した生活へと向かう傾向がありました。教育は人間の基礎を築きます。社会に出て仕事をする時には、良い教育の基礎があってこそ、人間を正しい方向に向かわせます。元々独自の文字も持っていて、民族意識が高く団結力も強いブヌン族は、白牧師の下、勉学に励みました。1992年牧師は原住民では初めての「布農幼稚園」を創立。その後1995年には、布農集落レジャー農場(布農部落文化體驗園區)を設立しました。これは、ブヌン文教基金会による施設で、ブヌン族の生活様式、文化継承と発展、レジャー産業の開発、先住民文化のPR等を目標としています。
園内には、劇場、民宿、レストラン、カフェ、ショップ、機織工房、有機農場、牧場、農産物加工工場、コンビニ、リバーサイドパーク、蝶々谷地区、山林生態公園、DIY教室などを備え、ブヌンの人たちが中心となって働いています。夏にはキャンプや講習会、DIY教室、コンサートなど、さまざまなイベントが開催されます。 台湾原住民現代芸術センター(内本鹿ブヌン文化生活館)では、台湾原住民の貴重な芸術作品が展示されています。レストラン、カフェでは地元の食材を使った原住民の料理を味わうことができ、コーヒーもなかなかの味。劇場では情熱的な原住民の歌や舞踊を楽しむことができます。![]() |
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ブヌンは狩猟民族、それゆえ他民族と比べて衣装は黒と地味、また、歌や踊りもそれほど得意ではないと言われています。しかし「八部和音」は世界的にも高く評価されている、複雑なハーモニーを持った曲です。この曲を歌うには、幼いころから歌いこんで年を重ねてきて、やっと人を感動させる声が出せるようになった人だけが選ばれて歌うのです。 | ||
ショーの終了後、ブヌン族のおばあちゃんを訪ねました。原住民名をLangus、中国語名は胡春蘭、そして日本名は西村八重子さんという大正13年生まれのお婆ちゃんです。ナビは日本語で話しました。ブヌンは昔、台湾で一番高い山「玉山」周辺にも暮らしていました。Langusお婆ちゃんもその山の一部にある「内本鹿」というところで暮らしていましたが、日本統治時代に、日本人に山から下りて住むようにと言われたそうです。今までの生活様式を変えざるを得なくなり、ブヌンの言葉も禁止されたそうです。「内本鹿」を知っている?と聞かれ、いやどこかよくわからないです、と答えたナビに彼女はそれ以上話してくれませんでしたが、その様子が、話したいけどこの人に話しても何もわからないだろうね、というような残念そうな表情に見えました。
ナビたちはコーヒーをいただきました。山の向こうには、布農集落レジャー農場内のキャンプ場やアロマオイルと竹炭工房も望めます。コーヒーは上質でいい香りがしました。ここでは、原住民料理もいただけます。![]() ショップスタッフはほとんどがブヌン族の人たち |
![]() アロマオイルセット |
![]() 小米の飾り物 |
![]() アロマオイル |
![]() レモングラスソープ |
![]() 試飲もできます |
![]() 園内の彫刻は、販売しているものもあります |
![]() 濃縮オリ-ブジュース |
![]() 濃縮ローゼルジュース |
とっても探しにくい場所に、レストランとは見えない外観をもつ小屋?がありました。ここは一人鍋のお店です。野菜はすべてオーガニック、チキンも地鶏。装飾という装飾もないお店で、台風が来たら大丈夫かしら?という造りにも見えますが、なんとなく風情があります。下味がついたチキンとタマネギを焼いて、スープを流し込み、野菜をどんどん入れていきます。栄養のバランスもよく、スープもおいしいので、どんどん食べられます。この雰囲気の中で、味わい深い食事。聞くと、かなり遠いところからも、わざわざここへ食べに来る人も多いそうです。 上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
スポット登録日:2011-01-06
スポット更新日:2014-10-06