1970年代、埔里はヨーロッパやアメリカへ輸出する生活商品の家内工業地でした。多くの家庭が内職で竹工芸などにいそしんだ時代、オルゴール作りもしかりで、当時はそれに約400軒が携わっていました。その後時代の流れとともに多くは中国大陸へ移住、その後再びこの地へ戻り、復活したのが「敲敲木」です。現在は10軒ほどになってしまった埔里のオルゴール作りですが、施文傑さんのように若きオーナーが後を継ぐところは、観光工場として蘇ったのです。
館内では、懐かしいオルゴールから、その歴史を知ることができます。クリスタルボールは、今でもクリスマス時に多くをアメリカへ輸出しています。日本へも北海道の小樽で、「敲敲木」のオルゴールに出くわすことがあるかもしれません。夢いっぱいのオルゴールにナビもうっとりしました。ビバルディの四季が流れてきたときには、思わずこれ欲しい!と思ったほど。メルヘンチックなオルゴールに酔いしれた後は、ショップで購入もできるし、各種DIY教室も行っています。
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スポット登録日:2013-04-03