![]() |
![]() |
「東隆宮」は東港の海岸に打ち上げられた1枚の板からはじまりました。そこには「東港溫記」の文字が。いくら探せど持ち主はおらず不思議がる人々。すると「溫」とは巡行途中に遭難して命を落とした唐の偉い人(進士)だというお告げが。人々は廟を建て、船舶の航行を見守る神として溫氏(王爺)を祀ることに。のちの津波によって廟は流されてしまいましたが、1894年新たな廟が現在の場所に建てられました。 |
門上に見て取れる「風調雨順」は雨風が順調であること、すなわち気候穏やかに作物が育つことを表しています。転じてあらゆる物事が順調という意味もあります。よ~く見ると「風」の字がちょっと……変??点が1つ欠けているではありませんか!これには「風は少し弱まった方が安全に航海できる」という、漁師町だからこその願いが込められているとか。
さて「東隆宮」をご存じの方も多いのではないでしょうか?この名を知らしめているのが、3年ごとに開催されるお祭り「東港迎王平安祭典」の存在です。起源は1763年、疫病が蔓延していたこの地に福建省から訪れた道士が伝えた儀式でした。
祭りでは「東隆宮」の主神である王爺を迎え、祈りを捧げたのちに再び天へと送り出す一連の行事が8日間に渡って繰り広げられます。最後には王爺が乗った船を燃やして送り出すことから「燒王船」と呼ばれることも。
門をくぐった先、左側にある「王船大爺」の文字が掲げられた建物が、お祭りで使う船を制作する場所です。作業は祭り開始の2年前から。ということで、お祭りまであと3年もあるこの日はクローズでした。作業中なら誰でも見学ができるそうですよ。
中央が本殿です。ここで行われていたのが「祭改」と呼ばれるお祓い。台北の行天宮で見かけるお祓い「收驚」(ショックを受けて停止した思考=魂を元に戻す儀式)と似ていますが、「祭改」はよき方向へ運気を導いてくれる開運効果があるのだとか!こりゃ、やらねば!
信者でなくても列に並べば体験できます。帽子を被った「班頭」さんに中国語で名前を伝えましょう。漢字でメモして自分の番に話しかけられたら(名前は何ですか?と言っている)見せれば大丈夫です。あとは祈りを込めてじっとしていればOK。「班頭」さんが身体の周辺で旗を振り、悪運を払い落してくれます。運気アップです♪
なお、傍らにある賽銭箱(油香箱)にお気持ち(100元程度が目安)を入れることをお忘れなく!ここまでは「祭改」の中でも小さな開運「小改」の流れでした。では、より大きなお悩みはどうしましょう?そんな時は「大改」が必要です。「班頭」さんに鞭で悪運を払ってもらいます。
![]() |
![]() |
![]() |
「大改」が必要かどうかは、まず赤い三日月型の擲筊(ポエ)で神様にお伺いを立てます。不要だと言われれば「小改」でOK。「大改」が必要な場合は、男性と既婚女性は黒い鞭を、未婚女性は赤い鞭を、子どもは布団叩きのような竹の鞭を使い、お尻やらをエイヤーと叩きます(軽く……きっと)。叩く回数は擲筊(ポエ)で決めるとか。少しだけ複雑なので、体験したい人は廟の人に訊ねてみてくださいね。 |
1階の右手側に回ると頭上に大きな鐘が。1927年に造られたもので、大戦中には物資として回収された過去があるそうです。しかし、幾度となく火にかけられても決して溶けることなく再び戻されたという曰くつき。時を越え、鐘が何かを訴えているようにも感じます……。
左手側にはお札が3種類置かれています。1つ頂戴してお守りにしてみては?
合格祈願をする受験生たちの受験票がずらりと並びます。みんな、がんばって~!
3階には觀音佛祖も。ここまで来ると、お参りする人の数も落ち着いてきて、ゆっくりと神様と向き合えそうです。
そして、見事な屋根の装飾が楽しめるのも3階に上がってきたからこそ!ちょこちょこ魚モチーフを目にするのは東港だからこそ??
ぐるりとお参りし終えて、やっぱり気になるのは次回のお祭りではないでしょうか?あれ、もうお祭り??いえいえ、丑(うし)、辰(たつ)、未(ひつじ) の年に開かれる迎王祭、次は2027年です。残り3ケタになったらカウントダウンがはじまるみたい。
しかし、水面下ではすでに祭りは動いています!次回の世話役はくじ引きで振り分けずみです。頂頭角地区が王爺の世話役を、祭りのリーダー大総理は潘さんが勤めます。なんだか早くもソワソワ&わくわく。これまでの迎王祭についてのレポートは下記記事を参照にしてくださいね。
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2025-08-05